流行りに流されないACPを
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近年、ACPという概念と取り組みに関する多くの研修会やセミナーが開催されています。
そして、「ACPとは、事前指示書でもなければ、延命治療の是非を問うものではない」ということも多くの人が理解しつつあります。
ACPに関しては、言葉自体は近年普及していった言葉ですが、緩和ケア領域では長年の臨床で取り入れられてきたケアの一つです。
それでは、ACPの本質について考えていきましょう。
人生の最終段階限定のものではない
ACPは、人生の最終段階で行うもの、または、病気になってからしていくものであると理解している人は案外多いのではないでしょうか。
しかしながら、私たちはいつ、どこで、だれが突発的な疾患や事故に遭遇するかわかりません。
そのときに、「この人なら今の状況をどう思うだろう」「どうしてほしいと望むだろう」ということが推定できる関係性を構築しておくこと。
これがACPにとって最も重要な土台となります。ですので、病気になる前から、普段の生活から、その人が何を大切に、どんなふうに生きているのかを知っておくことが大切です。
それは、日常のありふれた会話と時間の中で積み重なっていくものです。
あなたはあなたの大切な家族らが、大切にしている生き方や役割を知っていますか?
答えを出すものではない
医療者は、ついつい「答えを出そう」「何かケアをしなければ」と考え、時には、患者や家族の意思に関係なく、問題を自ら作り出してしまう場合があります。
これは、医療職としてのプロフェッショナルな精神であるともいえますが、どう生きたいのか、どんな自分でありたいのか、何かが起こったときに自分がどう考えるのかは、予測はできても正解はありません。
人の心は、流動的で、複雑で、変容性があるもの。かつ日本人は「自分が中心」ではなく「家族の思い」を大切にする文化があります。
そう、もっと人間的でリアルなものなのです。だからこそ、“ACPはプロセスである”と定義されているのです。
正確で簡単な言葉を使う
患者や家族への意思決定支援を行うとき、知識や技術はもちろん必要です。でも、いくら知識や技術があっても相手に伝わる言葉で伝えることができなければそれは単なる自己満足でしかありません。
そして、医療職者は、ベテランでプロフェッショナルになればなるほど、正確な言葉は伝えられても、平易な言葉を使うことが苦手になるという自覚を持つことが大切です。相手に伝わるとはどういうことなのか。
それは、「相手が理解し、自分事としてイメージし、行動することができる」ということです。
伝えるときには、「伝える相手にどうなってほしいのか」をイメージして言葉を伝えるという視点が大切です。
そうしてはじめて“対話”が生まれるのです。
まとめ
終末期ケアに関わる医療者は、知識や技術というプロフェッショナルとしての道具をリュックに入れていつでも出せるように準備をして背負います。
でも向き合うのは、生身の自分、ありのままの自分、でいいのです。必要な時にだけ、リュックから取り出し、“難しいことを難しくない言葉で”伝えるのです。
今、目の前にあるその人との時間を感じながら。
私たちが決めるのでなく、「患者さんや家族が決めたことを支えるだけ」。迷っていたり、定まらなかったりすれば、「なぜだろう」と相手を知ろうとする。それこそがACPとなっていくことを忘れてはならない。