カメラを通して見えた、生と死 映画『あなたのおみとり』|一般社団法人日本終末期ケア協会

カメラを通して見えた、生と死 映画『あなたのおみとり』

2024.10.11 協会情報

目次

在宅での看取りを選択した家族のありのままを映した映画、「あなたのおみとり」から見えてくる終末期ケアについて、代表理事の岩谷より映画の感想も交えてお話しいたします。

映画のあらすじ

家での最期を希望した父と、看取りを決意した母。息子のカメラが映し出す、戸惑いと焦燥、驚きと喜び、感謝と労い…。
生と死に向き合う日々をありのままにみつめたドキュメンタリー。

「うちに帰りたい」。末期癌で入退院を繰り返していた父の言葉で、母は家での看取りを決意した。
介護ベッドを置き、ヘルパーさんや訪問看護師さんが出入りする自宅で始まった父と母の新しい生活。
ベッドから動けない父は何かと世話を焼く母に「ありがとう」と口にするようになり、母はできる限り父の近くで時間を過ごすようになった。
少しずつ食事が摂れなくなり、痩せ、目を瞑る時間が増えていく父。持病の悪化で自身の健康にも不安を抱えることになった母。ヘルパーさんたちは毎日父の元を訪れ、丁寧にケアを行い、時に母の相談相手にもなってくれている。
閉じていく命の前で広がっていく人と人のつながり。生と死のあわいに訪れる、夢のようなひととき。

東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開中 ©️EIGA no MURA

66席のちいさな映画館で映し出される「看取り」

神戸には古くから地域に愛されてきたミニシアターがたくさんある。賑わいのある商店街に並ぶ「元町映画館」もその一つだ。

そこでは、人間の生々しさ、命の息づかい、社会課題、多様なテーマを題材にした映画が上映される。映画館の前にはいつも数種類のポスターが並べられており、私はそのポスターから、自分の関心ごとを探る時間がとても好きだ。

そんなとき、ふと目に留まったのが、映画『あなたのおみとり』のポスター。酸素チューブをつけて横たわる夫の手を握る妻。その姿はかつて緩和ケア病棟で毎日のように目にしていた、私にとってはなじみの風景だった。

撮影・監督は夫婦の実の息子である村上浩康氏。監督として、フィルター越しに見た、自身の家族の看取り。

きっと、家族しかいない空間だからこその現実が映し出されているのだろう。チケットを買って観客席に座った。

日常の彩りを拾い集めた最期の40日間

映画は、村上監督の父親を看取る、最期の40日あまりをみつめた日常の記録。看取りだけではなく、たくましく生き抜く日本の高齢者と、彼らを取り巻く社会問題にも気づかされる時間だった。

映画の中で出てくる、入浴介助、食事介助、家族の会話、ヘルパーさんとの会話、ご近所さんとの会話。思い返せば懐かしい。看取りの現場は今もこうして変わらず、私たちのすぐそばにある。
映画を見ながら、私は過去に緩和ケア病棟で過ごした日々を鮮明に思い出していた。

緩和ケア病棟にきた患者の多くが、久しぶりのお風呂を体験する。

「え!お風呂に入れるんですか?!」
それは家族にとっても大イベントになる。

お風呂あがりの火照った顔は、「このひと、ほんとうに病気だったかしら?」と周囲に感じさせる。入浴は、家族の心も同時に癒しているのだ。

「あの時のお風呂、気持ちよさそうだったね」

その癒しは旅立ちの後も家族の支えになる。
終末期の入浴には、清潔を飛び越えた価値がある。
どんな薬を使っても眠れない、落ち着かない人もいる。それでも、家族が体をさすり続けるとゆっくり目を閉じて穏やかになる。

家族がどこか得意げに“報告”してくださる。
「こうしてさすってるとね、落ち着くみたい」
さする手。受け入れる体。お互いの存在を確かめるように、体温が行き来する。

緩和ケア病棟で普段見ていたそんな光景を久しぶりに思い出した。
健康なときにはなんてことないシーンが、看取りの場では彩りになる。そのささやかな彩りこそ、看取りの文化なのだ。

限りある命、忘れられる命

最期の時を誰とどんなふうに過ごしたいか。みなさんは考えたことがありますか。

「命の有限性を知ると、生き方が変わる」と聞いたことがある。とはいえ、私も毎日、今日を生きるのが精一杯。命の有限性を感じながら生きることは簡単なことではない。

そもそも、人間とは忘れるから生きていけるのではないだろうか。忘れることは決して悪いことではない。忘れていた大切なことをまた拾う、だから人は、感情が揺さぶられる。

健忘や鈍感は、人が生き抜くための進化なのかもしれない。

だからこそ、映画を観たり、学んだり、誰かの体験を聞いたりして、思い出す。平等に訪れる“死”を想像し、自分の中にある“生”を感じる。

その繰り返しが生きるということなのかもしれない。

愛だけじゃない、使命も抱いて

妻の献身的な支えと、消えゆく家族の命への向き合い方。妻の言葉やたたずまいから、何十年と連れ添ってきた夫婦の愛を感じていた。

だが、映画を観終わるときには、愛ではなく、妻のもつ使命や役割を感じるようになっていた。全うした使命に清々しい表情をされているのが印象的だった。

きっと、旅立つ夫自身も、被写体になることでなにか自分の役割を果たされていたのだろうか。

看取りの現場には、関わる人々が意思表示できる場が必要なのだとあらためて感じた。

終末期ケアはギフトにもなる

年齢を重ねるごとに、数年前の写真に映っていたひとが、ひとり、またひとりと減っていく。当たり前の光景が、当たり前ではなくなることに少しずつ慣れてきた。それでもやっぱり寂しいし、恋しい。あの人に会いたい。

年齢を重ねるとは、そうした生の深みを増していくことかもしれない。
私もいつか大切な人を看取り、そして誰かに看取られていく。誰かの思い出になる。
そのときに、清々しい私で旅立てるように毎日を生きていきたい。

『救えない命を支えていただいてありがとうございました』

映画の中で妻からふと出た言葉。
そんな言葉が生まれない社会を、終末期ケア専門士のみなさんと作っていきたい。
終末期ケア専門士の皆さん、よろしければぜひご覧ください。

岩谷真意

元町映画館にて村上浩康監督と。協会の記事に映画の感想を掲載させていただくことを快諾いただきました。素敵な映画を届けてくださり、ありがとうございました。

映画「あなたのおみとり」 2024年 9月14日より 全国順次公開
映画「あなたのおみとり」公式HP

 

【終末期ケア専門士】について

「終末期ケア」はもっと自由になれる|日本終末期ケア協会

終末期ケアを継続して学ぶ場は決して多くありません。

これからは医療・介護・多分野で『最後まで生きる』を支援する取り組みが必要です。

時代によって変化していく終末期ケア。その中で、変わるものと変わらないもの。終末期ケアにこそ、継続した学びが不可欠です。

 

「終末期ケア専門士」は臨床ケアにおけるスペシャリストです。

エビデンスに基づいた終末期ケアを学び、全人的ケアの担い手として、臨床での活躍が期待される専門士を目指します。

終末期ケア、緩和ケアのスキルアップを考えている方は、ぜひ受験をご検討ください。